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Full text of "Tsukasa Kuwabara, a sociologist in Japan. Articles since April 2012."

「報道 被害」 概念の 明確 化に 向けて 

桑原 司 

一、 「あいまいな」 「苦しみ」 からの 出発 

一九 八 一年 八月、 小学校 六 年生 当時、 私 は、 プ —ルで 水泳 中に、 同級生 二 名より、 無理矢理に 海水 ズ 

ボン を 下ろされ 剥ぎ取られ、 素っ裸に された。 

二 〇〇 一年 七月、 腹 を 下した 私 は、 JR 車内の 男女 共用 トイレ (和式) において、 殿 部 を さらした 状態 

で 用便して いたと ころ、 突然 ドア を 開けられ、 衆人環視の もとにお かれる こと を 余儀なく された。 誤って 

ドア を 開けて しまったの は、 七 〇 歳 前後の ご 婦人であった。 

いずれも、 私が 過去に 経験した 出来事で、 私に 消える ことのない 「心の 傷」 を 刻んだ も 

ので ある。 これまで 私 は、 この 二 件の 出来事に ついて、 何度か 「言語 化」 し 「外 化」 する 

こと を 試みて きた 〔http://jairobii.ac.jp/0016/00002370〕 〔http://jairobii.ac.jp/0016/00004811〕 。 

しかし 一方で、 この 出来事 は、 「常識的に は」 あまりに 「大した ことで はない」 、 と 他者 

たちに 捉えられる 可能性が高い もので はない か、 とも 私に は 思われた。 とはいえ、 何とか 

言語と いう 媒体に 変換して、 いったん は 自分の 外側に 放り出し、 不特定の 他者た ちに 理解 

可能な (とみず からが 確信し うる) 形で 「現実の 世界」 (world of reality out there) に 固定 化 

しなければ、 しっかりと 上記の 「心の 傷」 と 向き合う ことが 出来ない。 またそう した 固定 

化 (== 定義) がしつ かりとで きなければ、 その 「心の 傷」 を、 他者た ちに も 積極的に 主張 

する ことが 出来ない。 羞恥心 を 伴う 出来事と いう もの は、 その 出来事 自体 を 描写す るの も 

難しい が、 その 出来事から もたらされた 「心の 傷」 の 内容 を 描写す るの は、 それ 以上に 難 

しい。 羞恥心 を 全面に 押し出さなければ 言語 化出来ない 事柄で ありながら、 極力、 その 羞 

恥 心 を 覆い隠し 脱色す る (ないし は 否定す る) 言語の 選択に 迫られる。 それ故に、 描写 さ 

れた 内容 はどうしても 「あいまいな」 ものと なって しまう。 このような 「あいまいな」 「苦 

しみ」 を 私 はずつ と 抱えて きた。 

このような 「あいまいな」 「苦しみ」 を 抱えて いた 私の もとに、 ある 人物から 相談が 舞 

い 込んだ。 

この 人物 は、 鹿 児 島 市内の 公衆浴場で 入浴 中に、 突然、 そこに 新聞社の カメラマンが 入 

つてき て、 一礼す る や 否や、 浴場 内の 写真 を 「バシ バシ」 取り 始めた、 という 出来事に 遭 

遇した、 と 説明され た。 その 方 は 「男性」 で、 そのため か、 「女なら いざ 知らず、 男が こ 

んな ことで 悩む の も 何とも 恥ずかしく. • • • 〔強調 は 桑原に よる〕 」 と、 その 人 は、 私 

の 目に 映った その 人 自身の 姿 ( 「相手の目に 映った 自分自身の アイデンティティ」 ) を、 

推し量りながら、 「言葉」 を 「選択」 ないし は 「絞り出して」 いるよう に、 私に は 見受け 

られ た。 みずから のこと を 定義す る ことに 多大な 困難 を 感じて いた 私で あるが、 「他人の 

こと」 となると、 意外に たやすく 言語 化し (定義し) 、 不特定の 他者た ちに 理解 可能な 形 

(と 自分に は 思われる 形) で 「現実の 世界」 に 固定 化する ことが 出来た 〔http://gyo.tc/Isicu 

〔 littp : //gy o . tc/I sii 」 

上記の 男性が 遭遇した 出来事に は、 上記の 「心の 傷」 を 抱える 私の パ ー スぺク ティブ か 

ら 見る 限り、 二つの 「自明 性」 が 強く まとわりついて いるよう に 思われる。 一 つ は、 「男 



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性 は 性的 羞恥心 を 安易に は 抱かない (抱くべき ではない) 存在で ある」 という もの (私自 

身 も 共有し、 違和感 を 抱き、 その 解体 を 試みて いる 自明 性で も ある) 。 もう 一 つ は、 「マ 

ス メディア による 取材 • 報 道の 自由」 である。 私 は、 一度に 同時 並行で 二つの ことに 取り 

組める ほど 器用な 人間で はない。 そして、 「他人の こと」 はう まく 言語 化ない し は 定義で 

きても、 みずからの ことと なると、 うまく 定義す る 能力に 長け ている と は 言い難い (これ 

は 私に 限った ことで はない かもしれ ない が) 。 

かくして 私 は、 「みずから のこと」 が 絡まない 後者の 自明 性、 すなわち、 「マス メ ディ 

ァ による 取材 • 報道の 自由」 という 自明 性に 強い 問題 関心 を 向け、 この 自明 性の 解体に 積 

極 的に 取り組む ことにな つた。 上記の 「ある 人物」 からの 相談が、 私が 「報道 被害」 と 呼 

ばれる 現象に 強い 問題 関心 を 抱く 切欠と なった ので ある。 

一 一、 「盛り付け」 と 「大皿」 

私 は、 大学院 進学 後に、 本格的に、 ハ ー バ ート • ブル— マ —の シンボリック 相互作用 論 

の 研究に 取り組み、 現在に いたって いるが、 その ブル ー マ —がー 九 七 一年に 発表した 論文 

に 「集合 行動と しての 社会問題」 〔http://ci.nii.ac.jp/naidzl2000139412 巴 が ある。 この 論文 

の 冒頭で、 ブル ー マ —は 次のように 述べて いる。 

社会問題と は 根本的に 集合的 定義の 過程の 所産で あり、 そうした 過程と は 無関係に、 社会の なかに あ 

る 一 定の 形で 配置され た 何ら かの 内的 性質 を 伴った 一 連の 客観的 事象と して 存在して いるもの ではない 

ので ある 〔邦訳、 四 一 頁〕。 

ブル— マ— は、 社会問題の 成立に とって 「客観的 事象」 の 如何 はまった く 問題に ならな 

い、 と 主張したかった わけで は 決してない 〔http://cibii.ac.jp/naid/40019193469〕 。 ただ、 あ 

る 「客観的 事象」 に 【悩まされ ている】 人々 が どれ だけ 存在して いたと しても、 そうした 

人々 やそれ 以外の 人々 が、 その 「事象」 を 【社会問題 だ!】 と 定義し なければ、 それ は 社 

会 問題に はならない、 と 彼 は 主張して いるので ある。 

我が国で も 上記の プロセス をた どった 「客観的 事象」 は 数多い。 例えば 「セ クシ ャル • 

ハラス メ ント」 、 通称 「セクハラ」 は その 典型であろう。 【男性から 女性に 対して 行われ 

る、 ある 種の 社会的 行為】 であり、 【通例、 女性に とって は 不快 以上の 精神的 ダメ —ジを 

被る 可能性が高い】 この 「事象」 は、 「セクハラ」 という 「名 づけ」 (naming) がな され、 

社会問題 として 構築され る 以前に は、 【問題で はない】 ものと 定義され 自 明視され、 【こ 

れを 問題 化する 女性に こそ 問題が ある】 との 「常識」 がま かり 通って いた、 と 言っても 過 

言で は あるまい。 そもそも この 「事象」 を 問題 化しよう にも、 問題 化する ための 「言語」 

もなかつ たの だが::。 

宮淑子 は、 その 著 『新版 セ クシ ュ アル. ハラス メ ント』 (朝日 文庫、 一九 九九 年) の 

「まえがき」 で、 その 当時 二 九 八 〇 年代 以前) の 事情 を 以下の ように 説明して いる。 

古くして 新しい 問題。 セ クシ ャル. ハラス メント (セクハラ) はこう 言われて きた。 言葉 自体 は 新しい 

ものに 見える が、 現象 自体 はずつ と 古くから あった、 と。 (改行 \ 中略) 

:: 私たちの 身の 周りに ある 現象 は、 その 現象 を 掬いと る 言葉がなければ、 その 現象 はない ものにされ 



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てし まう から、 現象 を 掬いと るた めに は、 新しい 言葉、 概念の 「盛り付け」 が 必要に なって くる。 

セ クシ ャル* ハラス メント という 言葉 は、 まさに この 新しい 「盛り付け」 だった。 

「盛り付け」 のために は 「盛り付け」 の 皿が 必要だった が、 時代と いう 「大皿」 、 人権 意識、 とりわけ 女 

性の 人権 意識と いう 「大皿」 が 用意され たこと が 何よりも 大きかった。 (改行/中略) 

八 〇 年代 は、 被害 女性の 声 を 聞き取る 作業に 専念した が、 被害 を 語る 女性 は、 当事者で ある こと を 特定 

される こと を 何よりも 恐れ、 取材 者 を 警戒して いたし、 たとえ 会う ことが 叶っても、 心の 内 は なかなか 見 

せて くれなかった もの だ。 第一 、 自分が 受けた 体験 を 言葉に する 作業 自体、 かなり 難航した。 セカンド レ 

イブと いう 言葉で よく 言われる が、 性が 絡んだ 問題 は、 百パ— セ ント 自分が 被害者で ある こと を 周りの人 

間に 証明し なければ ならなかった からだ。 八 〇 年代 は、 法律の 専門家で ありながら、 弁護士で も セクハラ 

に関して はまった く 無知の ひとが 多く、 欧米の 文献 を 取り寄せて、 学習す ると ころから しか 始まらな かつ 

た。 

宮の 言う、 上記の 「産みの 苦しみの 時代」 を 乗り越え、 一九 九 〇 年代に 入り、 この 「セ 

ク ハラ」 という 「対象」 (object) が 社会的に 成立した。 また その 成立 以降 まもなくして、 「ァ 

力 ハラ」 「パヮ ハラ」 「アルハラ」 など、 さまざまな (社会問題 的な) 「対象」 が 「ハラ」 

という 上位 カテゴリ ー の 括りの もとで、 次々 と 形成され ていった。 「セクハラ」 という 言 

葉 は、 セクハラ という 社会問題 を 成立 させた のみならず、 それ 以外の 【坦 もれた】 「客観 

的 事象」 の 「問題」 化 を 促進す る 機能 を も 担った。 

どういう 条件が ク リア されれば、 ある 客観的 事象 は 社会問題 としての 地位 を 得る ことが 

出来る のか。 より 正確に は、 得 「続ける」 ことが 出来る のであろう か。 先に 引用した ブル 

1 マ ー の 論文で は、 「社会問題の 発生」 、 「社会問題の 正当性」 、 「その 問題に 関する 活 

動の 動員」 、 「活動の 公式 計画の 形成」 、 「公式 計画の 実行 後に 生じる 計画の 変更」 の 五 

つの 段階 (ハ ー ドル) をク リアす る ことが その 条件 だと 述べられて いるが、 この 五つの そ 

れぞれ の 段階に おいて、 一貫して 重要と なる のが、 「社会問題 として 定義され 続ける」 と 

いう ことで ある。 

では、 ある 社会に おいて、 ある 客観的 事象が、 社会問題 として 定義され 続ける に は、 ど 

のよう な 条件が 必要と なる であろう か。 

* マスメディアの 協力 ( 「大皿」 形成の ための) • • • ブル— マ ー 自身 も、 簡単に では 

あるが、 先の 論文に おいて マスメディアの 重要性 を 指摘して いる 〔邦訳、 四 七 頁〕 。 イン 

タ ー ネットが 社会の 隅々 にまで 張り巡らされ、 その 利用者 数が 増大し 続けて いる 現代 日本 

社会に あっても、 マスコミ 四 媒体 (テレビ、 新聞、 ラジオ、 雑誌) 、 なかで も テレビと 新 

聞の 影響力 (疑似 環境 構成 能力 \ アジ H ンダ 設定 機能) は 依然として 大きい。 いくら イン 

タ ー ネット 上で、 ある 客観的 事象が 問題と して 定義され ようと も、 テレビと 新聞 (以下、 

マスメディア) の 後押しがなければ、 その 客観的 事象が 社会問題 としての 地位 を 得る (得 

続ける) こと は 限りなく 困難に 近い。 いくら インタ— ネット 上に、 ある 客観的 事象 を 問題 

とする 「ぺ —ジ」 が どれ だけ 増大しょう とも、 否、 増大 すれば 増大す る ほど、 各々 の 「ぺ 

—ジ」 の それぞれに 「多くの 人々」 が アクセス する 確率 は 反比例 的に 下がる 可能性が 生じ 

てし まう。 仮に 「多くの 人々」 が アクセスした としても、 その 「多くの 人々」 の 各々 が 「多 

元 的 無知」 (pluralistic ignorance) の 状態に 陥って いれば、 少なくとも その 「客観的 事象」 が 

当該 社会に おいて 「問題」 として 「周知の もの」 となる こと はまず ない。 つまり、 社会 問 



-3- 



題と して 成立す る こと も、 社会問題 として 自明 性 を 持つ こと も、 まずない。 

* 明確な 定義 を 持つ 言語 ( 「盛り付け」 のた めの) • • • いくら、 ある 客観的 事象 を 社 

会 問題と して 定義し、 異議 申し立てしょう にも、 それ を 表すに ふさわしい 「言語」 が 多く 

の 場合に 必要 不可欠と なる。 この 言語が、 人口に 膾炙し やすい シニフ イアンと、 明確に 定 

義 された シニ フイエ を 併せ持って いるならば、 なお 良い。 その 事象に 言及す る 際の、 その 

呼び名の 使いやす さ (そこから ィメ ー ジが 喚起され る 容易 さ) と、 概念 規定の 明確 さが、 

双方と もに 伴った 言語 は、 ある 事象 を 社会問題 化する 上で 強力な ッ —ル となる。 

三、 「報道 被害」 の 難しさ 

私が 「報道 被害」 という 言葉 を 初めて マスメディアで 目に したの は、 二 〇〇 一年 六月 二 

九日に 起きた、 「沖 網 米 兵 強姦 事件」 を 伝える 『南 日本 新聞』 〔http://373news.C0m/u の 紙 

面に おいてであった。 「マスメディア による 取材 • 報道の 自由」 という 自明 性の 解体 を 試 

みょうと 考えて いた 私に とって、 この 「盛り付け」 は 格好の ッ ー ル となった。 当初、 マス 

メディア は、 この 「報道 被害」 の 「加害者」 ( 「報道 加害者」 ) を、 「一部の メディア」 

と 表現し、 あたかも みずから (テレビ、 新聞) は 部外者で あるかの ごとく 報道し 続けた が、 

二 〇〇 二 年に 「 (旧) 人権擁護 法案」 が 国会に 提出され る や 否や、 マスメディア はみ ず か 

らの 「利権」 を 守る ために も、 積極的に みずから も 加害者であった こと を 認める 報道 を 行 

うこと を 余儀なく された。 そのため、 マスメディア は、 「報道 被害」 という 言葉 を、 頻繁 

に、 放送 や 紙面に おいて 使わざる を 得なかった。 「メディア ,スクラム」 という 社会問題 

的な 「対象」 が 形成され たの もこの 頃で ある。 皮肉に も、 「加害者」 である マスメディア 

によって、 「報道 被害」 という 「盛り付け」 と 「大皿」 が 同時に 提供され た 形に なった。 

とはいえ、 右 記の 「 (旧) 人権擁護 法案」 が 二 〇〇 三年 一 〇 月に 廃案と なるや、 少なく 

とも マスメディアから は、 急速に 「報道 被害」 という 言葉が 消えて いくこと となった。 マ 

ス メディア によって 提供され た 「報道 被害」 (そして 「メディア ,スクラム」 ) という 言 

葉 は、 少なくとも その 「大皿」 を 失う ことにな つた (ただし、 二 〇〇 四 年 二月から 二 〇〇 

五 年 一 一 一月に かけての 「犯罪 被害者 等 基本 計画」 の 成立 過程で、 再び、 「報道 被害」 が 「盛 

り 付け」 「大皿」 を 伴って 登場す る ことになる) 。 

「大皿」 は 失った ものの、 「報道 被害」 という 「盛り付け」 は、 その後 も、 さまざまな 

マスメディア 以外の 「メディア」 で 命脈 を 保ち 続けて いる。 しかしながら、 「大皿」 の 欠 

如が 故に、 「報道 被害」 は 「周知の」 「社会問題」 となって いるかと 言えば ( 「社会問題」 

として 自明 性 を 持って いるかと 言えば) 、 「なって いる (持って いる)」 と 肯定す るの は 

^ 1/ 佳 ンヽ o 

力なり 難し レ 

問題 は それだけ ではない。 実は、 「報道 被害」 の 「盛り付け」 にも 問題が あつたの であ 

る。 端的に 言うならば、 その 概念 規定が きわめて 「あいまい」 なので ある。 対照的に、 こ 

の 小論の 前節で 触れた 「セクハラ」 に関して 言うならば、 どういう 状況で、 被害者と どう 

いう 関係に ある (ないし は 被害者が どう 捉えて いる) 人物が、 どういう こと を 行ったら、 

その 行いが 「セクハラ」 に 該当する のか、 かなり 詳細な 概念 規定が 存在して いる 

〔http://gyo.tc/Itid〕 。 対して、 「報道 被害」 について は、 「テレビ、 新聞、 雑誌な どの 報 

道に よ つ て 伝えられた 人々 がその 名誉 を 毀損され たり、 プライ バ シ ー を 侵害され る 人権 侵 

害の ことで、 生活 破壊、 近隣 や 友人からの 孤立 を もたらす もの」 (梓澤 和 幸、 『報道 被害』 



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* 報道 被害に つ い て 考える 市民団体 

人権と 報道 連絡会 〔http://www.jca.apc.org/ 丄 imporen/index.htm に 

報道 と 人権の 会 〔http://kmplanbet/usr/jinken/index.htm:I 

「人権と 報道」 研究会 (仙 台) 〔http://cibii.ac.jp/naid/40004395067〕 

マスコ ミと 人権 を 考える 東海の 会 〔http://cibii.ac.jp/naid/40004395068u 

京都で マスコミ を 考える 会 〔休会 中〕 

北 河内 • 報道と 人権 を 考える 会 〔http://cibii.ac.jp/ncid/BA56717342u 

人権と 報道 • 関西の 会 〔http://www.geocities.jp/citizenandmedia/〕 

報道に ついて 語る 福 岡の 会 〔代表者、 内 田 博 文 氏 (九州 大学 法学部 教授) U 

* 代表的な 研究者、 活動家、 関係者 

河 野 義行氏 〔http://www2k.biglobebe.jpA-ndskohno/u 

浅 野 建 氏 〔http://wwwi.doslnsna.ac.lp/~kasano/ll 

山 口 正紀氏 〔人権と 報道 連絡会、 代表〕 

梓澤和 幸 氏 〔http://www.azusawa.1p/ll 

大 I5- みなみ 氏 LIlttp://www2.tky.3wet>.ne.JP/»-norln/ll 

* 関連 文献 〔http://201 10820a.blogspot.jP/2012/09/hlog-post.html:l 



岩波 新書、 二 〇〇 七 年、 ニニ 頁) という 類の、 きわめて おおざっぱな 定義し かないの が 現 

状で ある。 

宮淑子 は、 先に 触れた 文献の なかで、 みずからの 使命 を 「社会に 埋もれて いる 現象 を 掬 

いとって 社会に 投げ与える」 こと だと 述べて いる 〔前掲 書、 四 頁〕 。 

現在、 報道 被害に 関する 文献 や 論文 は 数多く 存在す るが 〔http://gyo.tc/Iuuru 、 「報道 被 

害」 の 「定義」 を、 詳細 かつ 明確に 行い 得て いる 文献に は、 少なくとも 私 はま だ 出会って 

いない。 次号 以降で は、 「報道 被害」 の 「定義」 の 「明確 化」 に 向けた、 具体的な 作業 を 

試みて いくこと にしたい。 (つづく) 

四、 資料 集 

これから 少しずつ 整備 • 充実 させて いきたいと 思います。 

* メディア 別 「人権侵害」 対応 機関 (業界 横断 的な もの) 

テレビ、 ラジオ. • • 「BPO」 (放送 倫理. 番組 向上 機構) 〔http://www.bpo.gr.jp/〕 

雑誌. • • 「雑誌 人権 ボックス」 〔http://www.j-magazine.or.jp/opinionlool.htmlu 

新聞 • • • 無し 

* 報道 被害 対応 組織 

L AM VIC (報道 被害 対策 弁護団) 〔http://lamvic.j-all.com/〕 

G OH o o (日本 報道 検証 機構) 〔http://gohoo.org/〕 



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